第35話|報復せず、敵をも愛す~山上の垂訓⑤【はじまりに還る路】

小説

第四章 西暦三十一年

第一節 春

第四項 山上の垂訓

5.報復せず、敵をも愛す

イエスの話は続く

「あなたがたは、『目には目を、歯には歯を』と言われたことを聞きました。
しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者〈πονηρός〉に抵抗してはなりません。
むしろ、あなたの右の頬を打つ者には、その者にもう一方の頬も向けなさい。」

人々は思わず顔を見合わせた。戸惑うようなざわめきが起きる。
「右の頬を打たれたら……もう一方も向けるのか?」
「そんなことをしたら、また打たれるではないか。」
そんな中、ある人が、ハッと呟いた。
「これって……先生は『殴られたら耐えなさい』とだけ言っているのではないのかも……。」
「どういうことだ?」
その人は、自分の右手を上げ、尋ねてきた相手の右頬に手を差し伸べた。
「右利きの者が、相手の右頬を打つなら……こうだ。手のひらではなく、手の甲が当たる。」
「裏手で打つ……!」
「そうだ。これは単なる暴力に留まらない。『お前はオレより格下だ』と相手を見下し、侮辱する打ち方だ。」
別の男が、イエスの言葉を思い返しながら言った。
「では、『もう一方』……左の頬を向けるということは……?」
「今度は手のひらで打つことになる。対等な相手に行う打ち方だ。」
「そういうことだ。『私はあなたの下にいる者ではない。私を打つなら、同じ人間として向かい合え』――そう言っているようにも思える。」
人々は互いに顔を見合わせた。

殴り返すのでも、恐れて身を伏せるのでもない。
暴力を受けても、相手の支配に屈することなく、自分の尊厳を手放さない。
そのような生き方を、イエスは今、彼らの目の前に示していた。
人々は、次の言葉を待つように、静かにイエスを見つめた。

「また、あなたの外衣〈ἱμάτιον〉を取る者からは、内衣〈χιτών〉も拒んではなりません。そしてあなたを訴えて、あなたの下着〈χιτών〉を取りたいと思う者には、上着〈ἱμάτιον〉もその者に渡しなさい。
また、あなたを一マイル〈μίλιον〉行かせるよう強いる者とは、一緒に二マイル行きなさい。
あなたに求めるすべての者に与えなさい。
そして、あなたから借りたいと思う者に、背を向けてはなりません。そして、あなたのものを取る者から、それを返してくれとは求めてはなりません。
そして、人々があなたがたにしてほしいとあなたがたが望むとおりに、あなたがたも彼らに同じようにしなさい。

『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎みなさい』と言われたことを、あなたがたは聞きました。
しかし、わたしはあなたがたに言います。
あなたがたの敵を愛しなさい。そして、あなたがたを迫害する者たちのために祈りなさい。
それは、あなたがたが、天におられるあなたがたの父の子たちとなるためです。
なぜなら、父はその太陽を悪い者たちの上にも善い者たちの上にも昇らせ、正しい者たちの上にも不正な者たちの上にも雨を降らせるからです。
というのも、もしあなたがたが自分たちを愛している者たちを愛するなら、あなたがたにはどんな報いがありますか。
徴税人たちでさえ、同じことをしているではありませんか。」

その言葉に、マタイはわずかに目を伏せた。
――徴税人。この時代、税の徴収に携わる者たちは、異邦人であるローマの支配者に協力する者として、ユダヤ人社会ではしばしば宗教的にも社会的にも蔑まれていた。かつて徴税人であったマタイもまた、人々からそうした目で見られていたのだ。

「また、もしあなたがたが自分たちの兄弟たちだけにあいさつするなら、あなたがたは何か特別なことをしているのでしょうか。異邦人たちでさえ、同じことをしているではありませんか。
そして、もしあなたがたが、あなたがたに善を行う者たちに善を行うなら、あなたがたにどんな恵みがありますか。罪人たちでさえ、同じことをしています。
そして、もしあなたがたが、返してもらうことを望んでいる者たちに貸すなら、あなたがたにどんな恵みがありますか。罪人たちでさえ、同じ額を受け取るために、罪人たちに貸しているのです。
しかし、あなたがたの敵を愛し、善を行い、何も返してもらうことを期待せずに貸しなさい。
そうすれば、あなたがたの報いは多くなり、あなたがたは至高者〈Ὕψιστος〉の子たちとなります。
なぜなら、その方ご自身が、恩知らずな者たちにも悪い者たちにも親切からです。

憐れみ深い者となりなさい。あなたがたの父が憐れみ深い者であるように。
ですから、あなたがたは完全でありなさい。天におられるあなたがたの父が完全であるように。

しかし、あなたがたの義を、人々の前で行わないように注意しなさい。彼らに見られるためです。
そうでなければ、天におられるあなたがたの父のもとで、あなたがたには報いがありません。
ですから、あなたが施しをするときには、偽善者たちが会堂や通りで行うように、あなたの前でラッパを吹いてはなりません。彼らは人々から栄光を受けるためです。
まことに、わたしはあなたがたに言います。彼らは自分たちの報いを受け取ってしまっています。」

ある人が呟く。「人に知られることを望んで行ったた時点で、神からの報いはないのか‥‥。」
「そうゆうことだろう。望み通り、すでに人々からの称賛をあびているんだ。報いはすべて受けてしまっていることになる。」

イエスの言葉は続く。
「しかし、あなたが施しをするときには、あなたの右手が何をしているのかを、あなたの左手に知らせてはなりません。それは、あなたの施しが隠されたところにあるためです。
そして、隠されたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

人々は顔を見合わせた。
これまで善い行いとは、人々に認められてこそ価値があるものだと思っていた。だが、イエスは、自分自身でも気づかないほど――それほどに密かであってこそ神の目に留まるのだ。

人々は、自分たちが神について知っていると思っていたことが、根底から揺さぶられているのを感じていた。
だが不思議なことに、それは恐れではなかった。
霧が晴れていくように、神の御心が、神が求めている”義”が少しずつ見えてくる。

挿絵・ビジュアル制作には、ChatGPT および Google Gemini を使用しています。

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