第22話|洗礼者ヨハネの捕縛【はじまりに還る路】

小説

第三章 西暦三十年

第二節 秋

第一項 洗礼者ヨハネの捕縛

それから半年以上の月日が流れた。ちょうど、イエスがバプテスマを受けてから一年が経つ。
乾いた風が肌を刺し、夕暮れは早く、吐く息も白くなり始める――晩秋、現代の暦で十一月から十二月ごろユダヤ暦のキスレウの月のころ。
イエスとその弟子たちは、引き続きユダヤで、バプテスマを授けていた――もっとも、実際に施していたのは弟子たちである。
さすがに、この時期に水に浸っているのは体が冷える。
焚き火のそばで、アンデレがつぶやいた。「最近、俺たちのほうが人が増えてるらしいぞ。」
ゼベダイの子ヨハネが答える「俺たちが洗礼者ヨハネのもとにいた頃も、人は日に日に増えていったが……それを上回る勢いだな。」

イエスがバプテスマを人々に施しているという噂は、やがてパリサイ派の耳にも届いた。監視の目が向けられ始めていることを、イエスも感じ取っていた。

そんな折、「ヨハネが捕らえられた。」と知らせが届いた。場の空気が一気に張りつめた。

「え、本当か??。」
ペテロが顔を上げる。「サリムのアイノンで活動していただろう?誰に捕縛されたんだ?。」
「ヘロデ・アンテパスだよ。彼の領内のどこかで捕縛されているはずだ。ガリラヤか、ヨルダンの向こうのペレアか……どっちだろう?。」
フィリポが眉をひそめる。「どうやら、ペレアの方らしいぞ。ここからヨルダン川を渡ってもっと南の方。」
ナタナエルが低く言う。「死海の東……マケルスってところに奴の要塞があるよな。」
ゼベダイの子ヨハネが顔を上げた。「そんな遠くに……。」
アンデレが苦く呻く。「厄介だな。会いにも行けない場所だ。」
イエスは静かに言った。「ここを離れ、ガリラヤへ向かいましょう。」

さて、洗礼者ヨハネが投獄されたのは、領主ヘロデ・アンティパスの結婚を公然と非難したためであった。彼はアンティパスに対し、「あなたが兄弟の妻を自分のものとするのは正しくありません。」と告げていた。

この”兄弟フィリポ”とは、しばしば混同される地域支配者フィリポ(イツラヤとテラコニテの領主)とは別人で、一般に区別してヘロデ・フィリポと呼ばれる人物である。

ヘロデ家の関係は複雑である。アンティパスとフィリポはいずれもヘロデ大王の子であるが、母が異なる異母兄弟であった。一方、問題の女性ヘロデアは、ヘロデ大王の別の妻から生まれたアリストブロスの娘であり、アンティパスとフィリポにとっては姪にあたる。

ヘロデアはもともとフィリポの妻であり、娘サロメをもうけていた。しかしアンティパスは彼女を望み、すでに娶っていたナバテア王アレタの娘と離縁したうえで、ヘロデアと再婚した。
この結婚は、兄弟の妻を奪う行為であるだけでなく、近親関係にも抵触するもので、ユダヤの律法に照らしても不法かつ不道徳と見なされた。ヨハネがこれを厳しく糾弾したのは、預言者として当然の振る舞いであった。

洗礼者ヨハネは、アンティパスの婚姻関係だけでなく、あらゆる悪事を公然と戒め続けていた。そのためアンティパスは、内心では彼を殺したいとさえ思いながらも、群衆が彼を預言者と見なしている以上、軽々しく手を下すことができずにいた。

さて、アンテパスは、ガリラヤ湖畔に新しい都を築いていた。父ヘロデ大王ほどの壮大さではなかったが、それでもなお権力を示すには十分な事業であった。時のローマ皇帝ティベリウスの名にちなんで、その都はティベリアと名付けられた。アンティパスはその都とペレアの領地とを行き来しながら、支配を続けていた。

ペレアに滞在中の際は、死海東岸のマケルス要塞に幽閉されていたヨハネを呼び出しては、その語る言葉に耳を傾けていた。彼はヨハネのことをどうしたらいいかと当惑しながらも、その言葉にどこか惹きつけられていたのである。しかしその同じ言葉が、ヘロデアの憎しみをいっそう激しく燃え上がらせてもいたのである。

「まだあの男を生かしておくつもりですか。」
ヘロデアは、苛立ちを隠さず言った。
「民衆はあれを預言者だと思っている。下手に手を出せば、騒ぎになる。」
アンティパスはそう答えたが、その表情には迷いがあった。
「あなたが恐れているのは民衆ですか、それともあの男ですか。」
ヘロデアの言葉に、彼はしばし沈黙した。
「都を築こうが、名を残そうが……あの男にかかれば、すべては断罪される。」ヘロデアは何かを逡巡するように、苦々し気につぶやいた。
「……だが、あれは正しいことを言っている。」アンティパスが弱々しく応答すると、彼女の目が鋭く光った。
「だからこそ、危険なのです。」

挿絵・ビジュアル制作には、ChatGPT および Google Gemini を使用しています。

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