第一章 メシアの誕生
第二節 西暦前二年
第一項 春
2.マリアはヨセフに伝える
場所 ナザレ/マリアとヨセフの居住地
まことに、一人の子が、わたしたちのために生まれ、
一人の息子が、わたしたちに与えられた。
その統治は、彼の肩の上にあり、その名は呼ばれる、
『驚くべき助言者、力ある神〈אֵל〉、永遠の父、平和の君』と。
その統治の増大と、平和とに、終わりはない。
ダビデの王座の上に、またその王国の上に。
それを堅く据え、裁きと義とによって、今より、そして永遠まで。
エホバ〈יְהוָה〉万軍の熱心が、これを成し遂げる。
〜イザヤ書 九章六ー八節〜
さて、ナザレに帰ってきていたマリアであるが、日に日に自分の胎内で子が成長していることを感じ取ることができていた。
天使ガブリエルから「聖なる霊によって子を宿す」と告げられたとおりのことが自分の身に起きているのである。そのうち、まわりの人の目から見ても子を宿していることが明らかになるであろう。
マリアは意を決した。このことをヨセフに伝えなければ・・。
ヨセフとは、マリアの婚約者である。職業は大工で、裕福とは言えないが、ある意味由緒正しい血筋の者で、遡ってユダ王国末期の王の一人エホヤキン(又の名をエコニヤ、短縮してコニヤとも呼ばれている)に繋がる王家の血を引く者である。
実はマリアも父方が王家の血筋で、二人の共通の祖先にゼルバベルという人物がいる。彼は、ユダヤ人がバビロン捕囚から解放され、本国に帰還した際の最初の総督で、先ほど述べた、エホヤキンの孫である。
ヨセフの父はヤコブといい、遡ってアビウデという人物を経てゼルバベルに至り、マリアの父はヘリといい、遡ってレサという人物を経てゼルバベルに至る。
さて、案の定、ヨセフにはマリアが言っていることが信じられなかった。
「聖なる力によって妊娠した」って??ヨセフの目の前には真剣に事の詳細を打ち明けるマリアがいた。マリアの話ぶりには誠意がこもっており、ヨセフを騙そうとの魂胆は微塵も感じ取れない。しかし、そんなことがあるだろうか?考えたくはないが、マリアには他に男がいるのだろう。
ヨセフはひどく悩んだ。愛する婚約者が不貞を働いたことはショックだが、自分と婚約しているのに他の男の子を身籠ったことが明らかになればマリアはどうなる??
当時のユダヤ人社会では、婚約した男女は結婚の手続きが完了するまで夫婦として一緒に暮らすことはなかったが、結婚同様、拘束力のあるものと見なされていた。
つまり、マリアは姦通罪という恥を晒すことになるうえに石打ちの刑になってしまう。
「少し考えさせてくれないか」
「ええ・・」信じられないのは無理もない。マリアも、愛する婚約者がひどく悩んでいるのを見て心を痛めた。ヨセフがどのような結論を出すにしても受け入れよう・・。
マリアと別れた後、ヨセフは一晩中考えた。マリアの妊娠は不貞によるとしか思えない。本来なら、然るべき権威のもとに告発しなくてはならない事案かもしれない。ヨセフは神の御前において正しい人であった。と、同時に優しさと哀れみを持ち合わせていた。彼女を恥さらしにはしたくない。なんとか合法的に回避する手段はないものか・・。
ヨセフは思いついた。そうだ、律法には「女性に恥ずべき点があるのが分かって好きでなくなったなら、離婚証書を書いて手渡し、家から去らせるべきである。女性はその家を去った後、別の男性の妻となることがでる。」とあるではないか。この方法なら、立会人も二人だけでいいし、マリアに過度の恥辱が及ぶこともないだろう。そうだ、ひそかに離婚しよう。
熟考に熟考を重ねていたヨセフであるが、いつの間にか眠りに落ちていた。気が付くと、目の前に天使がいた。・・いや・・これは夢か・・
夢の中で天使は言った。「ダビデの子ヨセフ!」
そう呼びかけられてヨセフは不思議な気分になった。まあ、確かに自分はダビデの子孫ではある。
天使は続けた。「妻マリアを迎え入れることを恐れてはなりません。妊娠しているのは聖なる霊〈πνεῦμα ἅγιον〉によるのです。彼女は男の子を産みます。イエスと名付けなさい。その子は民を罪から救うからです」。
なんだって⁈マリアと同じことを言っているぞ。ヨセフは眠りからすっかり覚めた。
そういえば・・ヨセフと頭の中で預言者のことばが鳴り響いた。
見よ、処女〈ἡ παρθένος〉が胎に宿し、そして子を産むであろう。
そして彼らはその名をエンマヌエルと呼ぶであろう。
インマヌエルとは、「私たちと共に神がいる」という意味である。マリアの生む子は民を罪から救うという。神から遠く離れてしまった人類を神に引き寄せる役割を担うということか。すごいことだ。預言者を通して主〈κύριος〉が語ったことがマリアの身に実現したのだ。
約束のメシアはダビデの王座につくと言われている。マリアもダビデの子孫ではあるが、生まれてくる子が世間的にダビデの子孫と認められるには、ダビデの子孫である父親が必要だ。なぜなら、この時代、系図上の人物として母親の名前を挙げることはふさわしくないとされているからだ。それならば、王統の血を引く自分が父親になるのは相応しいことではないか。
しかし・・ヨセフには気掛かりな別の予言があった。
神が予言者エレミヤに対し、エホヤキム王について語った言葉だ。
「彼の子孫でダビデの王座につく者はいなくなる。」(エレミヤ三十六章三十節)
その後、エホヤキムの子エホヤキンが王位を継いだが、わずか三か月と十日間支配したにすぎず、そのエホヤキンに対しても神はエレミヤを通してこう宣言されている。
「この人コニヤ(又の名をエホヤキン)は、軽んじられ,壊された物、誰も喜ばない器なのか。なぜ彼とその子孫は投げ捨てられ、そして、自分たちの知らなかった地へ投げ出されたのか。地よ、地よ、地よ、エホバ〈יְהוָה〉の言葉を聞け。エホバ〈יְהוָה〉はこう言われる。
『この人を、子供がいない人、生涯成功しない人として書き記しなさい。彼の子孫は誰も成功しないからだ。ダビデの王座につかず,再びユダを治めることはない』」。(エレミヤ二十二章二十八-三十)
エホヤキンにも子供はいた。しかし、エホヤキンの子孫の中で、地上のエルサレムから支配した人は一人もいなかった。預言が示唆していたとおり、王位を継承できる者がいない、まるで子のない者のようであると言えよう。
事実、エホヤキンがバビロンの王ネブカドネザルに降伏した後、エホヤキンの後継者としてネブカドネザルによって王の座に就けられたのは、エホヤキンのおじゼデキヤであり、これがダビデ王朝の最後の王となった。
以後、エホヤキンの子孫がダビデの王座に着く余地はなく今日まで至っているのである。
そして、ヨセフ自身もこのエホヤキンの子孫の一人であり、マリアも同様である。
マリアとヨセフの共通の祖先にゼルバベルがいるが、その父はシャルテルといい、さらにその父がエホヤキン王なのである。
その子孫にあたる者がダビデの王座に就けるのだろうか??
しかし、実は別の系統でも、つまりエホヤキン王を介さなくてもダビデ王の血筋につながるのである。
別の公式の系図によると、ゼルバベルの父がシャルテル、その父ネリ、遡ってナタン、ダビデとなっている。
実は、ゼルバベルはネリの娘とシャルテルの兄弟ペダヤの間の子供である。一説によると、ペダヤの死後、ネリの娘はシャルテルと義兄弟結婚をし、それによってゼルバベルはシャルテルの法的な子供となったとされている。
つまり、ネリはゼルバベルから見て実の祖父であり、シャルテルから見て義理の父であり、この系統であれば、エホヤキンを介さずにダビデに遡るのである。
ヨセフの頭の中でマリアから聞いた天使の言葉が鳴り響いていた。
「恐れなくてよいのです、マリア。あなたは神〈θεός〉のもとで恵みを見いだしたのです。
そして見なさい、あなたは胎内で身ごもり、男の子を産みます。
そしてその名をイエスと名付けなさい。
この者は大いなるものとなり、至高者の子と呼ばれます。
そして主〈κύριος〉なる神〈θεός〉は、彼に彼の父ダビデの王座を与えます。
そして彼はヤコブの家を永遠に治め、その王国には終わりはありません。」。
これこそ、待ち望んでいたメシアなのか?かつて神はダビデに言われた
「わたしはあなたの後にあなたの子孫を立てる。
それはあなたの腹から出る者であり、わたしはその王国を堅く据える。
彼はわたしの名のために家を建て、わたしはその王国の王座を、永遠まで堅く据える。」
ヨセフにはもう迷いはなかった。天使が指示した通りに行い、妻を迎え入れた。
そして、その日には、
エッサイの根が、諸国民のための旗として立ち、
諸国は彼を求め、その安息の場所は、栄光となる。
〜イザヤ書 九章六ー八節〜
※脚注※ 「処女〈ἡ παρθένος〉が胎に宿し・・」について
本節は イザヤ書 7:14 の引用であるが、Westminster Leningrad Codex(マソラ本文)は次のとおりである。
「それゆえ、主〈אֲדֹנָי〉ご自身が、あなたがたに一つのしるし〈אוֹת〉を与えられる。
見よ、その若い女〈הָעַלְמָה〉は身ごもっており、男の子を産み、
その名を『インマヌエル〈עִמָּנוּ אֵל〉』と呼ぶ。」
このように語形が異なっている理由は、このエピソードを記したマタイ書の著者が、この預言を引用する際に、当時広く用いられていたギリシア語訳聖書、すなわち 七十人訳聖書(セプトゥアギンタ、LXX)を用いているからである。
七十人訳は、紀元前3〜2世紀に主としてエジプトのアレクサンドリアで作成されたヘブライ語聖書のギリシア語訳であり、ディアスポラのユダヤ人の間で広く使用されていた。新約聖書の他の著者たちも多くの場合この訳文を引用している。
なお、「マタイがヘブライ語で書かれた」という伝承は古代教父パピアスによって言及されているが、現存する最古の写本はすべてギリシア語であり、学術的には本福音書はギリシア語で著されたと理解されている。対象読者はユダヤ的背景を持つ信徒であった可能性が高いが、ギリシア語圏の読者をも視野に入れている。
七十人訳において、ヘブライ語本文の「עַלְמָה(若い女)」が「παρθένος(処女)」と訳されたことにより、キリスト教的解釈において本預言は処女懐胎の預言として理解されるようになった。
七十人訳は1世紀に広く使用されており、イエスの弟子たちや初代教会がこれを用いていたことは、新約聖書における引用形態からも強く示唆される。
ただし、イエス自身がどの言語形態(ヘブライ語・アラム語・ギリシア語)で聖書を引用したかについては断定できない。
本作に引用されている聖書の言葉・表現の着想は、King James Version(1769)、 SBL Greek New Testament(© Society of Biblical Literature, CC-BY 4.0)およびWestminster Leningrad Codex をもとにしており、翻訳補助に Google 翻訳等の機械翻訳ツールを使用しています。
挿絵・ビジュアル制作には、ChatGPT および Google Gemini を使用しています。
© 2026 Yurika Shiohara
Text and illustrations
by Yurika Shiohara


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