プロローグⅤ 影の先にある道
ヘロデ大王は、前三十七年にユダヤの王として即位し(このときおよそ三十六〜四十歳と推定される)、以後約三十六年間にわたり王国を統治した。(※)
ヘロデはローマ帝国との友好関係を維持することに尽力した。これこそが彼の政治の基盤であり、政策の中心であった。これが彼にとって、ユダヤ国内での安定と自身の王権強化を図る手段だった。ローマ皇帝アウグストゥスの支持を得ることが彼の権力の源だったからである。
統治初期の前三十年代から前二十年代にかけて、ヘロデは大規模な建設事業に乗り出し、エルサレムをヘレニズム文化の中心地へと変えていった。彼は地中海沿岸に港湾都市カエサレア(カエサリア・マリティマ)を建設し、ここにローマ式の港や劇場、競技場などを整備した。
さらに、ヘロデはエルサレムに壮大な建築物を次々と築いた。中でも、特筆すべきなのは前二十年頃から着手されたエルサレム神殿の大改修事業である。この工事において、神殿周囲の基壇や支柱などが大規模に拡張された。神殿本体の主要部分は比較的短期間で完成したが、関連施設や広大な複合構造の工事はその後数十年にわたって継続された。このように、ヘロデの政策は王国の経済的発展と文化的変容を促し、ユダヤに対する彼の支配は政治・経済の両面で絶対的なものとなっていた。
さらにヘロデは、大祭司の任命と解任を自由に行い、その職に対する実権を自らが握っていることを公然と示した。宗教面においても彼の権威は極めて強大であり、大祭司たちさえも意のままに操り、だれであれ自分の望む者をその地位に就けたのである。
こうした状況のもとで、聖書に「祭司長たち」と呼ばれる一団が形成されるようになった。この一団には、現職の大祭司だけでなく、すでに解任された後も強い影響力を保っていた元大祭司たち、さらにそれらの親族までもが含まれていた。
しかし、これは本来、神が律法によって定めた祭司制度の姿とは大きく異なるものである。たしかに、新たに任命される人たちは大抵、アロンの家系の選ばれた名家から選出されていたようである。とはいえ、律法において大祭司の職は終身の務めであり、政治権力によって恣意的に任命や解任が繰り返されるものではなかった。ところがヘロデの支配下では、この神聖な職はすっかり政治の道具とされ、地位と権力をめぐる世俗的な支配構造の一部へと変質していったのである。
さらには、歴代のローマ総督たちもこれに倣い、大祭司職を政治的支配の手段として利用し続けた。当然このような支配は、ユダヤ社会の内部に深い反発と複雑な評価を生み出した。
こうした状況の中で、人々はメシアの到来を切実に待ち望んでいた。その期待は次第に高まり、メシアが訪れる時は近いと広く信じられるようになっていた。なぜなら、旧約聖書(ヘブライ語聖書)に記された数々の預言が、まさにこの時代に成就すると理解されていたからである。
ヘブライ語聖書には、沢山の預言が書き記されている。とりわけ「女の子孫」つまりメシアを識別するための予言はユダヤ人の関心の的であった。
メシアに関する預言には、大きく分けて二つの種類がある。
一つは、直接的にメシア(救い主)に言及している予言。
もう一つは、明確に「メシア」に言及していないものの、内容や文脈から見て、後に来るメシアを指していると理解されてきた預言である。
ユダヤ人たちはこれらの預言を総合して読み取り、来たるべきメシア像を形作っていたのである。
直接的にメシアに言及している予言のうち重要なものは、その経路に関するものである。
メシアがアブラハムの家系、さらにダビデの家系から出ることは明確に予告されており、ユダヤ人の誰もが、聖書のどの部分に書き記されているかを了知するところであった。
神はアブラハムに対し、「あなたの胤によって地のすべての国々は祝福されるであろう。」と約束された(創世記二十二:十八)。
まずは、この「胤(子孫)」が、後に来るメシアを指すものとして理解されてきた。
さらに神は、ユダの子孫であるダビデ王に対し、「わたしはあなたから出る者を堅く立て、彼の王国の王座をとこしえに堅くする。あなたの家とあなたの王座は永遠に堅く立つであろう。」と告げられた(サムエル記下七:十二, 十三, 十六)。注目すべきことに、この胤は、単なる後継者ではなく、その支配が永遠に続く特異な王とされている。
これらの預言はユダヤ人なら誰もが知る聖句であり、メシアがアブラハムとダビデの家系から現れるという理解は、周知の理解であった。
一方、ヘブライ語聖書には「メシア」という語を明示していないとはいえ、メシアに関するものと理解されてきた多くの聖句が存在する。どの聖句がメシア預言に当たるかを見極めるため、ユダヤ人の書士たちは生涯をかけて聖書を研究したと言われている。
古代ユダヤ人の会堂では、メシアに関連する章句は四百五十六か所に及ぶとされ、また初期ラビ文献には、そのような適用を支持する箇所が五百五十八か所あると伝えられている。
実のところ、メシアについての憶測は多岐にわたり、すべての人が同じ知識や理解を持っていたわけではなかった。
多くの人は、メシアがベツレヘムから出ることを知っていたが、そうでない者もいた。
「かの預言者」と「キリスト」とが同一の人物であると考える者もいれば、別の存在であると考える者もいた。
「メシア」とは「油そそがれた者」を意味する。
ユダヤ人の間でこの語は、やがて輝かしい支配をもたらすダビデ王の子孫を指す言葉として定着していた。しかし、そこから導かれる期待や救いの理解は一様ではなかった。
ある者は、ローマの支配を打ち破る政治的な解放者を待ち望んでいた。
また少数派ではあるが、イザヤ書の「苦難の僕」をメシアに当てはめ、メシアは剣によって勝利する王ではなく、人々の罪と苦しみを引き受けるために来る存在であると理解するラビもいた。
イエスが誕生しようとしていた時代、ユダヤ人はすでに数世紀にわたり、異邦の支配者のもとで苦しみ続けていた。ユダヤ人にとってメシアは、イスラエルに栄誉をもたらし、ローマの圧制から解放し、回復された王国を打ち立てる希望であった。
人々は待ち望んでいた――神によって起こされ、カリスマ的な力を与えられたダビデの子孫なる王を。
※脚注※ ヘロデ大王の死亡した年について
一般に、ヘロデ大王の死は紀元前四年とされてきた。この説は、フラウィウス・ヨセフスが『ユダヤ古代誌』で「ヘロデは月食の後、過越祭の前に死んだ」と記していることに基づいている。
十九世紀の歴史学者たちは月食が起きた時期につき天文計算を行い、前四年三月十三日の部分月食をこの記述に当てはめ、「ヘロデは前四年に死んだ」と結論づけた。しかし当初から、この月食と過越祭の間があまりに短く、聖書の記述とも矛盾することが指摘されていたが、学界ではほとんど顧みられなかった。
二十世紀後半になり、天文計算と史料研究が進んだ結果、前一年一月十日の皆既月食の方が、ヨセフスの描写と歴史状況にはるかによく一致することが明らかになった。
とくに「月食から過越祭までの期間」と「ヘロデ死後に起きた多くの出来事」について現実的に収められるのは、前一年説を採用した場合だけである。当稿はこの「前一年説」を採用している。
本作に引用されている聖書の言葉・表現の着想は、King James Version(1769)、 SBL Greek New Testament(© Society of Biblical Literature, CC-BY 4.0)およびWestminster Leningrad Codex をもとにしており、翻訳補助に Google 翻訳等の機械翻訳ツールを使用しています。
挿絵・ビジュアル制作には、ChatGPT および Google Gemini を使用しています。
© 2026 Yurika Shiohara
Text and illustrations
by Yurika Shiohara


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