はじまりの場所へ プロローグⅡ

プロローグ

プロローグ Ⅱ 証されるメシア

神エホバによって造られた最初の人間、アダムとエバは、何の欠陥もない完全な存在であった。神が備えられた最良の環境――パラダイスの中で、これから生まれてくる子孫とともに、永遠に幸福な命を享受するはずであった。

しかし、この最初の夫婦は、神の完全な統治のもとにとどまることを選ばなかった。悪魔サタンに操られた蛇の言葉に唆され、神の支配に服するよりも、自ら善悪を定め、自分たちで治める道を選んだのである。神に逆らい、正しさに関する神の基準から外れたこの罪は、アダムとエバから完全性を奪った。そしてその不完全さは、生まれてくるすべての子孫へと受け継がれていった。

こうして、神の愛に満ちた完全な保護のもとを離れることを選んだ最初の二親から生まれた人間家族は、自らを統治することを余儀なくされた。その結果として待っていたのは、秩序ではなく混乱であり、幸福ではなく苦しみであり、そして死であった。

こうして、人類の苦しみの歴史は刻まれ始めたのである。

しかし神は、人類を闇の中に置いたままにはされなかった。人間が再び、ご自分の完全な保護のもとへ戻るための道――天と地を本来の姿へと回復するための道筋を定めておられた。しかもそれは、アダムとエバが罪を犯した、まさにその直後のことであった。

神エホバは、二人を唆した蛇に向かって、こう宣言された。

「わたしは、お前と女との間に、また、お前の子孫と女の子孫との間に敵意を置く。
それはお前の頭を砕き、お前も彼のかかとを砕くであろう。」

アダムとエバも、この言葉を聞いていた。それは人類の未来に向けて放たれた最初の光であった。神エホバは、彼らの子孫の中から、敵を打ち破り、人類を救い出す者が現れることを告げられたのである。

これこそが、救い主――すなわちメシアに関する、最初の預言であった。
ご自分の意図から大きく逸脱してしまった被造物を、いかにしてあるべき状態へと戻すのか。その最初の預言である。
とはいえ、アダムとエバもこのことばの意味する詳細な点については、とうてい理解していなかった。この預言――すなわち約束のメシアに関する道筋は、後の時代、神が選ばれた僕たちを通して、少しずつ明らかにされていくことになる。

神と神に選ばれた人々との間を取りなす役割を担う者は、人類の歴史の初めから存在していた。そのような者は、「預言者」とか「祭司」とか呼ばれた。預言者は神の言葉を直接受ける者であり、祭司は神の前にあって民を代表し、犠牲をささげ、民のために執り成し、願い出る役割を果たした。
神は、さまざまな方法によってご自分の意志を伝えられた。あるときは夢を通して、あるときは幻を通して、またあるときは天使を遣わして語られた。

モーセの律法が定められる以前は、一人の人物が祭司的・預言者的役割を併せ持つことが多かった。たいていは家族の長である家長が、その務めを担っていた。神と共にあゆんだエノク、義の伝道者ノア、そして、神の友と呼ばれたアブラハムもまたその一人である。

前述のとおり、アブラハムは、約束の子孫が現れるための主要な経路とされた人物である。その子イサク、孫のヤコブがその経路を受け継いだ。そして、ヤコブ与えられた十二人の息子たちから十二部族が生まれ、一つの国民が形づくられていった。
こうして、神に選ばれた民――やがてメシアを生み出す国民が、歴史の中に現れたのである。

ヤコブの子孫たちはヘブライ人と知られていたが、大飢饉の際にエジプトへ移住し、その後エジプトにおいて奴隷状態にされていた。その苦悩をご覧になった神はモーセをお選びになり、エジプトでの奴隷状態からご自分の民を解放させた。これが、歴史的にもよく知られている出エジプトである。

エジプトからの脱出後、神の民は約束の地を目指して荒野を旅するが、その間、モーセは神の指示によって、人類に関わる壮大な歴史を書き記した。現在は聖書の「創世記」として知られている書物で、最初の人間アダムから始まって、忠実な神の僕ノア、アブラハム、イサク、およびヤコブなどに伝えられてきた神からの教えが記録されている。

また神は、モーセを通して律法をお与えになった。神からの様々な指示が含まれたもので、宗教儀式の規定の他、日常生活での道徳や法的規範、衛生に関する規定、食物に関する規定など社会的な生活の指針が示されている。中でも十戒(出エジプト記20章)は最も有名な部分の一つである。

これらは、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と呼ばれる書物に記録されており、先ほどの創世記を含めたこれら五つの書は「五書<ペンタチューク>」と呼ばれ、神から与えられた書物として、その最初からイスラエル国民全体に受け入れられていた。

前述のとおり、この「モーセ五書」には、真の神に対する正しい崇拝の仕方に関する基本的な取り決めが書き記されている。重要な点としては、神に捧げ物をする際の規定や祭日の決まりが明確に定められたこと、そして「祭司職」が定められたことである。

このときをもって、レビ族のアロンの家系の男子が祭司となり、他のレビ族の男子が補佐を務めることになった。また「大祭司」と呼ばれる職が制定され、神はモーセの兄アロンを最初の大祭司として任命し、以後イスラエルの大祭司の職はアロンの血統が担うことになり、父親から長男へと受け継がれていくことになった。
こうして今まで長らく続きてきた、それぞれの家長が家族のために祭司の役割を担うことはなくなったのである。まさに、モーセの律法は、神の民にとって生き方の重要な指針であり、ユダヤ国民が形成していくための基盤となったのである。

さて、モーセの時代以降も神から与えられた正典は多数あるが、そのすべてが、この「モーセ五書」で示されている原則に即したものとなっている。

ユダヤ人の伝承によれば、多くの正典をまとめて目録を作成し始めたのは、エズラという人物であると言われている。彼は、祭司長アロンの末裔の祭司であり、エホバ神が与えたモーセの律法に精通した学者、神聖な書物の正式な写字生、彼自身も神から霊感を受けて聖典を書き記す者の一人であった。
その後、エズラの目録に、ネヘミヤ記とマラキ書が付け加えられ、こうして聖典は、西暦前5世紀の終わりまでに定められたと言われている。

これが、今日「ヘブライ語聖書(旧約聖書)」として知られている書物であり、今日の「聖書」は、この「ヘブライ語聖書(旧約聖書)」と、イエスキリストの誕生から使徒たちが活躍した西暦1世紀に編纂された「ギリシャ語聖書(新約聖書)」で成っている。ちなみに、キリスト以前の書物は主にヘブライ語で書き記されたので「ヘブライ語聖書」と、キリスト以後の書物は主にギリシャ語で書き記されたので「ギリシャ語聖書」と呼ばれることが多い。

聖書の最初の書は、聖書の記述に基づいて計算すると紀元前十六世紀ごろに記されたと理解されており、研究者の間では一般的に紀元前十三世紀頃とする見方もある。最後の書は紀元一世紀の終わり頃に成立したとされる。「聖書」とは、実に千年を超える長い期間にわたって書き継がれ、さまざまな書が一つに編纂されたものなのである。
その全巻を貫くテーマは、「神がどのように人類を救い、人類の罪がどのように贖われるのか」である。

かつてアダムとエバが享受していた自由――神の子どもとしての栄光ある自由――を人類は決して自力で取り戻すことはできない。
しかし、神は人類を深く愛していた。元の場所に、神の祝福しかなかった世界に人類を帰らせる―――
そのために、神はアブラハム、イサク、ヤコブの子孫からなる民をご自分の特別な民として取り分けられた。
この希望を知らせるため、それを成就する道筋を示すため、以後、この民が顕著な役割を果たすのである。

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