第四章 西暦三十一年
第一節 春
第八項 多く愛した、そのわけ ― 赦しと愛
場所 ガリラヤ/ナインの町かその付近
さて、パリサイ派のある人が、イエスに一緒に食事をするよう頼んでいた。
イエスはその人の家に入り、食卓に横になった。
家の中には、何人かの人が集まっていた。食事が始まり、穏やかな空気が流れている。
そのときだった。
「……あっ。」誰かが、小さく声を漏らした。
戸口に、一人の女性が立っていた。人々の視線が、一斉に彼女へ向けられる。
「どうして、あの女が……。」
ざわめきの中、女性は何も言わず、香油の入った石膏の壺を手に、まっすぐイエスのところへ歩いていく。
そして彼の後ろ、足元に立った。
涙が頬を伝う。一滴、また一滴。
やがて涙はイエスの足をぬらし始めた。
女性は自分の髪でそれをぬぐい、何度もイエスの足に口づけした。そして香油を、その足に塗った。
食卓を囲んでいた人々は、息をひそめて見つめている。
イエスを招いたパリサイ派の人は眉をひそめた。
彼は自分の心の中でつぶやいた。
「この人が預言者であったなら、この女が誰で、どのような女なのか、そして彼に触れているのが誰なのかを知っているはずだ。彼女は罪深い女なのだから。」
するとイエスは答えて、彼に言った。
「シモン、あなたに一つ言いたいことがあります。」
「先生、言ってください。」
「二人の債務者が、ある貸主に対していました。一人は五百デナリオンを負っており、もう一人は五十を負っていました。
ところが、二人とも返すものを持っていなかったので、彼は二人に貸したものを帳消しにしました。では、その二人のうち、どちらが彼をより多く愛するでしょうか。」
シモンは少し考えてから答えた。
「私は、より多く帳消しにしてもらったほうだと思います。」
「あなたは正しく判断しました。」
イエスはそう言うと、女性のほうを振り向き、シモンに言った。
「この女性を見ていますか。私はあなたの家に入りましたが、あなたは私の足に水をくれませんでした。しかし、この女性は涙で私の足をぬらし、自分の髪でぬぐいました。
あなたは私に口づけをしてくれませんでした。しかし、この女性は、私が入って来てから、私の足に何度も口づけすることをやめませんでした。
あなたは私の頭に油を塗りませんでした。しかし、この女性は香油を私の足に塗りました。
このため、あなたに言います。彼女の多くの罪は赦されています。
なぜなら、彼女は多く愛したからです。しかし、少ししか赦されていない者は、少ししか愛しません。」
イエスは彼女に目を向けた。「あなたの罪は赦されています。」
すると、一緒に食卓についていた者たちは、自分たちの中で言い始めた。
「罪までも赦す、この人はいったい誰なのか。」
彼らが驚いたのは、イエスが女性を受け入れたことだけではなかった。
罪を赦す――。
その権限を、いったい誰が持つというのか。
食卓に、再び重い沈黙が落ちた。
しかしイエスは、女性を優しく見つめて言った。
「あなたの信仰があなたを救いました。平安のうちに行きなさい。」
※脚注※ 食卓に横になるとは
ルカ7章36節の「そこでイエスはその人の家に入り、食卓に横になった」の「横になった」は、原文のκατεκλίθηで、「横になる」「横たわる」の意。古代の食事では、横になって食卓を囲む習慣があったため、「食卓に着いた」などと訳されることが多い。ここでは、原文の動作を残して「食卓に横になった」とした。
本作に引用されている聖書の言葉・表現の着想は、King James Version(1769)、 SBL Greek New Testament(© Society of Biblical Literature, CC-BY 4.0)およびWestminster Leningrad Codex をもとにしており、翻訳補助に Google 翻訳等の機械翻訳ツールを使用しています。
挿絵・ビジュアル制作には、ChatGPT および Google Gemini を使用しています。
© 2026 Yurika Shiohara
Text and illustrations
by Yurika Shiohara

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